雑談 についての記事一覧

感情論

  • 2010年8月11日 21:22
  • 雑談

議論を行う時に感情論となってはならない事は、原則として納得出来るものだと思う。感情論と言うのは、自らの感情を根拠にして論じる事――解り易く言えば好き嫌いの話であるからだ。議論とは、なるべく正しい結論を出す事が目的である。自らの感情を根拠にするという事は、自らを押し付ける事が目的になってしまい、物事の正しさ、或いは「より良くしよう」という方向へは行き難い。そして、感情論というものはそれを行う方にとっても危険である。何故なら、その場に於いて自らの論じた事柄が否定された場合、本人の否定へと繋がってしまうからである。自ら感情論を投げかければ自滅への道を開きかねない。

ところで、実際の議論を眺めていると、実は感情論というものを良く解っていないのではないかと思わされる事がある。どういう事かというと、間違った感情論批判の事である。上手い例えが見付からないので数学へ逃げるが、「1+1は2だ馬鹿野郎」と机を叩きながら怒り狂っていても、それの正しさは揺るがない。反対に、とても冷静な物腰であっても「1+1は3だ」と言われたら、その人が会計士でない限りそれは間違いだと反論出来る。

また、冒頭で好き嫌いで物を言ってはならないと述べたが、好き嫌いがきっかけになった議論はそれ自体問題がない。また、好き嫌いについて述べている事も、内容が論理的であれば問題はない。「好き嫌い述べる」事と、「好き嫌い述べる」事は大いに違うのである。具体的には、「私はこれが嫌いなので止めて下さい。なぜ止めなくてはならないのかと言えば、このような理由があるからです。その理由の正当性を示す根拠はこれです」と述べる事は良いという事だ。「嫌いです」だけなら単に好き嫌いについて告白しただけであり、「止めて下さい」だけなら単なる要望である。

※ここで言っているのは議論における感情論についてであって、日常生活における「人の嫌がる事をしてはいけない」という話とは別のものである。念の為。

要は感情的であっても内容が理性的であれば議論としては原則として問題ないのだ。勿論、お互いに怒りながら議論をしてもスムーズに進みはしないだろうが、原則としてはその筈だ。マナーを論じるのは原則を守った後で良い。

間違った事を言ったり、この間言った事を気分だけでひっくり返したりし、それについて相手が口調を荒げて怒ったら内容も聞かずに(或いは意図的に聞かぬ振りをして)感情論だと決め付け、述べられた内容自体を含めて否定する。今日この様な記事を書いたのは、最近この様な「技術」を使う人に出会ったからだ。怒った方が直ぐ冷静になったので……というか、何れにせよ立場上強い事は言えないので私は何も言わなかったのだが、あまり良い議論にはならなかった。後日、そんな気分屋さんに「先日の会議は駄目だったね」なんて言われ眩暈を起こしたのは辛い思い出である。

七夕の願い事

  • 2010年7月 2日 00:31
  • 雑談

今年の7月7日は月齢が24.7歳と有明月から三十日月の間になり明かりがあまり無いので、雲さえなければその日に天の川が観られるかも知れないという事らしい。本来の七夕は今の7月7日ではないなんて話もあるが、個人的にはあまり気にせず今の7月7日を楽しむ積りだ。

七夕には笹に願い事を記した短冊を吊るす風習があり、Wikipediaの七夕 4 風習によると、大祓で用いる茅の輪の左右に立てられた笹竹に、願い事を書いた短冊を吊るして七夕に河川へ流す、という風習に因んだものらしい。その大祓の笹流しでは、どんど焼き(左義長)で書初めを焚くと筆が上達するといった行事に対応しているという事だが、対応という言葉がどういう意味で用いられているのかは分からなかった。

ところで、願い事の内容には色々なものがあるが、私は「彼氏・彼女が欲しい」「車が欲しい」「合格したい」といったものについては否定的だ。自分の力でどうにかなる可能性があるものは、願うのではなく努力すべきだと思っているからだ。だから、「(言葉通りの意味で)筆が上達したらいい」という願いは不可で、「世界中の老若男女誰からも認められる美男美女を伴侶としたい」といった非現実的なものであれば可であると考えている。

実際に他人の願い事を否定する事はないが、何でもかんでも願ってしまうと――少なくとも、自分が努力出来る範囲の物まで本気で願ってしまうのは、怠惰なのではないだろうか。

私はどちらかと言えば怠け者だ。何でも楽してやりたいと思っている割に、楽をする為の努力を怠っている事が多い。でもそれを願い事にする積りはない。自分にとっての願掛けは、最後の手段にしたいと思う。

今日のコンビニ

  • 2010年5月15日 19:53
  • 雑談

前回の記事で出会った人に良く似た人が居たので出てくるまで待ってから入った。

因みに今日の買い物はチョコクレープ。

コンビニであった、わからない話

  • 2010年5月 1日 21:00
  • 雑談

「くりっ、くりっ、くりっ、くりっ、栗と栗鼠~」

私は自分が疲れているのだと思った。仕事自体は温いと言って差し支えないほどだが、逆に言えば最近は大した遣り甲斐もなく、燃え尽き症候群にも似た状態であり、何処となくストレスが溜まっていたからだ。コンビニで好物の甘い物でも食べて束の間の幸せを得ようと思い、生クリームが大量に乗ったオニ盛りという名前のプリンを眺めていたのも、そんな理由からだった。しかし、そんな小さな幸せを目の前にした私の耳に、またもや先程と同じ声が聴こえる。

「わっけわからん、わっけわからん」

本当に訳が分からない。声の出ている方へ目線を向けると、外見からは性別不詳な人がサングラスをかけた人が、洋菓子のコーナーをショーウィンドウの横から見ながら立っていた。目を合わせて絡まれたら厄介だ。介護士という職業柄、例えどのような人に出会っても受容する事は出来る。だからと言って苦手が得手へ変化するわけではない。自分から苦手な人に関わり合おうとまでは思わない。

「くりっ、くりっ、くりっ、くりっ、栗と栗鼠~」

また同じ歌だ。この性別不詳な人の声は女性のものに思える。文字通り木の実と動物の事なのか、はたまた女性の部分という意味を持たせているのかは判らないが、男性であれ女性であれ誤解されそうな詩を歌っているのは戴けない。レジには女子高生が立っているのだし、周りには子連れの母もそれなりに居るのだ。

「わっけわからん、わっけわからん」

この人は何を不思議に思っているのだろうか。目を向ける事はせずに様子を窺っていたが、どうやらお菓子コーナー周辺を往復しているらしい。一応、何かを買いに来たのだろうか。

「何にしよっかなー、何にしよっかなー」

歌詞が変わった。だからと言って何がどうという事ではないが、もしかしたら続きがあるのかも知れない。興味をひかれた私は、自分のおやつとなるものを物色しながら聞き耳を立てた。

「こっんにっちはー」

何てこった、人に向かって挨拶をするのか。自分の世界に入っているのだと思い油断していた。近くに居ては声をかけられるかもしれない。ここへ来て自分の迂闊さに冷や汗が出る。当初眺めていたプリンではなく、チョコクレープを手にそそくさとレジへ逃げる。なるべくその人から関心を向けられないような仕草で清算していると、突然背後から声が聞こえた。

「くりっ、くりっ、くりっ、くりっ、栗と栗鼠~」

その歌詞の存在感が大きくて他の言葉が耳に入らなかったが、どうやら目に付いた人へ適当に声をかけているらしい。危機感を募らせ、自分の存在感を小さく見せようとやや必死になる。そのおかげかどうかは判らないが、その人は私の背後を通り抜けて行った。

清算が終わりレジの人への挨拶もそこそこに店を出ようとすると、その人は本を立ち読みしていた。

「わっけわからん、わっけわからん」

あの人は、きちんとわかる事が出来るのだろうか。無事コンビニを出た私は余裕の出来た心の中で、あの人の幸せを願った。

最近の日曜日

  • 2009年10月 4日 23:46
  • 雑談

ここ半年ほど、日曜日の朝が来ると「明日は月曜日かぁ」と思うようになってしまった。

連休が待ち遠しい、そんな生活。

両面印刷の勧め

  • 2009年10月 2日 11:26
  • 雑談

幾ら今時~なんて言っても、やっぱり片面印刷専用のコピー機しか持ってないオフィスは多いはず。でも、WordやPDFのドキュメントは奇数/偶数印刷が出来るので、面倒だけど紙を入れ直せば両面印刷は可能。

ウチの職場は介護保険事業所と言う事もあり、利益に対して書類が多い。書類への記入や整理に人件費を割くと、あっさり赤字になってしまうくらいの比率だったりする。赤字までいかなくとも、十数時間を割り当てるだけで原価率がドンとUPする。これはやばい。まあそれは事務力UPや、後はまあ固定給の人が頑張る事によって何とかなるので(労基違反とか言ってたら介護保険関係の法律に違反してしまうアンビバレンツ。例えばウチのケアマネがいうには、書類整理の時間の方が訪問や外出の時間より多いとかふざけてる、時間をかけてちゃんと利用者や利用者家族と話し合いさせてくれと憤慨中)ここでは一まず置いておこう。閑話休題。

んで書類が多くなるとどうなるか、当たり前だけどファイルホルダーの数が増える。MOTTAINAI。積極的に両面印刷をすれば紙資源の節約にもなるしファイルホルダーの購入経費も削減出来るのに……。

因みに、リース契約の場合、用紙代がリース料や1枚幾らの印刷代で補われていて無料になっていたりすると、特に節約にはならないけれど……ただ、紙資源の節約には変わりない。

で、FAXでまとめて送信するような書類は片面の方が良いけれど、研修資料やモニタリングシート、内部会議資料とかは紙の裏表を使った方が良いと思う。なので、片面印刷しか出来ないコピー機を置いてあるところも、面倒臭がらずに紙を入れ替えて上手に両面印刷を行うようにするべき。

ただし、機械に弱い人やPCのソフトウェアに弱い人は逆に印刷の失敗で紙の量も印刷量も事務の時間も増えるので、そういう人には、流石にお勧め出来ない……。

運転中に携帯電話を使用するのはやめよう?

  • 2009年9月26日 20:38
  • 雑談

運転中の携帯ダメよ! みたいなステッカーをフロントに貼った大型トラック。すれ違う時に運転席を見ると、おっちゃんが必死に携帯電話を見てた、ありゃメールだな。

下手すりゃ死んじゃってたかも、すれ違った私が。

虫歯になった親知らずの抜歯 (2)

  • 2009年9月18日 13:53
  • 雑談

腫れも酷くなく、痛みの方も触らなければ大丈夫で、後は走ったり階段を降りたりすると多少響く程度。

ところで、担当してくれた女医さんがとんでもなく美人だったのでまた抜きに行きたい。

虫歯になった親知らずの抜歯

  • 2009年9月17日 18:47
  • 雑談

今日、虫歯になってしまった下の左親知らずを抜いてきました。私の親知らずは両方とも水平埋伏智歯と呼ばれる型で、水平という通り歯が横向きに萌えているのです。

この萌え方をしている親知らずの手術は歯科医にとっても基本的に嫌なものなのだそうで……。抜きづらいのもあるけれど、顎周辺の感覚神経に影響が出るケースがそこそこ多いのだとか。

私の場合は、「感覚麻痺」と「痛みや虫歯による色んな弊害」という事を考えると後者の方が嫌だったので、多少悩みつつも抜歯に踏み切りました。幸い、麻酔が抜けた今触ってみると何事もないようで、良好。とはいえ、抜いた次の日辺りで一番腫れてしまうらしく、今ちょっとずつ腫れて来ていますが……痛み止めと抗生物質をきちんと飲めば余程の事がない限り悪くはならないような雰囲気です。

手術時間は1時間でした。顎を開けっ放しでつらかった……。手術中、痛みの方は麻酔が効いていたので大丈夫。親知らずの近くを切って骨を削るんですが、特に何ともありませんでした。(因みに、腫れるのは骨を削った副作用)

ところで、親知らずに限らず抜歯の後はうがいをしないで欲しいと言われますが、これは抜いた場所に溜まる血が流れてしまうからという事らしいですね。つまりは簡単な事で、カサブタ(のような物)が剥がれないようにという事。これを考えると抜いた日の食事はやっぱり柔らかい物の方が良いですね。特に親知らずは奥という事もあり、口を動かすと一緒に動いてしまう場所なので。

まあ、抜いた跡に血が溜まってても流さないように、逆に流れないように注意する事が大切のようです。後は、血行を良くしてしまわない事。お風呂に浸かったりお酒を飲んだりすると血が止まらなくなります。かといって、冷やしても傷の治りが悪くなるらしいです。要は、出来る限り放置しておく事が、治りを良くする秘訣のようです。

投票において否定的意見を認めてはどうか

  • 2009年9月 6日 11:17
  • 雑談

選挙を見ていつも思う事があります。不信任の表明(不信任票)が認められていない事です。

つまり、現在、任せられる政党(政治家)が居ないと思っている人は、白紙や棄権等で意思を表明していると思いますが、これを、例えば「投票先なし」のような形で選挙の有効票と認めてはどうだろうかというものです。有効票となるにはどこかを選択しなければならないという選挙の方式は、銃で死ぬのが良いのか首吊りで死ぬのが良いのかを選択するという事とそんなに変わらないのではないかと考えるわけです。

それが選挙において何らかの意味を持つかどうかは微妙なところですが……仮に認められても、得票率の多いところが当選する事に変わりはないでしょう(例えば、100票の内50票が不信任票だとしても30票が獲得できれば当選する)。そうでなければ、政治が混乱してしまう。

ただ、せめて不信任を表明する機会はあるべき。現在は積極的な否定を表明する機会が足りないような気がしているのです。

夢と現実

  • 2009年8月25日 18:13
  • 雑談

綺麗になった中学生だった頃の後輩。その娘の家に入ってそれなりに立派な部屋に通され、良い雰囲気になる。彼女だって満更でもなさそうだったので、そのまま流されてしまおうとお互い見つめ合う……。

すると、彼女がハッとして思い出したように「今お父さんが居るよ」なんて残念な事実を言葉にする。勿論がっかりしたが、しかし愚痴を言っても仕方がないので、気持ちを切り替えてお父さんに挨拶をする事にした。

お父さんは一目見て判る程の善い人で、どこの馬の骨とも知らない私を快く迎えてくれた。それだけでもう、結婚しても大丈夫だろうと確信できてしまい、先程流れを断ち切られた事をすっかり忘れて談笑する。

そうしている内に、色んな人が家に集まってくる。なんだ、これならお父さんが居なくても駄目だったじゃないかと思いつつ、来た皆と一緒に居間に置いてあった釣り竿に手を掛け、家のベランダから磯釣りを楽しむ。海の色は綺麗で、ブラックバスがよく釣れる。

……。

そんな夢を見た次の日の夕方、仕事をしながら車を走らせていると、夢で観たような可愛い眼鏡っ娘が歩いているのを見かける。細い路地で車のスピードもゆっくりだったのでしっかりと観る事が出来たのは幸いと言えよう。

スレンダーな身体つき、髪の毛はややショート。色白で図書室にずっと座っていそうながらも健康的な雰囲気を併せ持っており、美しいとも感じられた。

彼女は魅力的な笑顔を作り、中学校指定のセーラー服についてあるお馴染みのリボンを揺らしながら、隣に居る一見冴えない男の子と楽しそうに仲良く歩く……。

事務所へ戻る道、衝動的な悔しさと虚しさに襲われつつ、自動販売機で買った苺味のミルクをストローで独り寂しく吸うのであった。

二者択一

  • 2009年7月19日 11:27
  • 雑談

例えば、結果が全てだと言う。逆に、過程の方が大切だとも言う。でも、どちらか片方だけを選ぶケースなんてそんなに多いものなのだろうか……いや、それは確かに多いかもしれない。なら逆に、どちらも選べるケースはそんなに少ないのだろうか。

良い過程から良い結果を得る事は理想であり、実現不可能な事では決してない。確かに、例えば仕事においてはスケジュールの問題等により兎に角何をやっても良いから結果を出さなくてはならない事もある。けれど、いつでもそうだという訳ではない。少なくとも、二つを満たそうと追い求める事自体は間違っていない。

他の例では、仕事とお金もそうだ。仕事が好きだからお金なんて要らない、仕事は嫌だけどお金は欲しい。こんな、安易に分けなくても良い。少なくとも、両方を満たそうとする事は、間違った理想ではない。ハードルが高いのは確かだけれど。

言いたいのは個々の例がどうという訳ではなく(前述したのはあくまで一例だ)、何かの選択肢が現れた時、「その選択肢の先にあるものがどれも重要であるならば」、簡単に、或は安易に、どちらかを選ばなくてはならない、どちらかしか選べないと諦めてはならないということだ。昔の人は二兎を追う者は一兎をも得ずと言ったらしい。しかし、もし二兎を手に入れたいと少しでも思ってしまったのならば、先ずは二兎を得る事から考えるべきである。

七夕

  • 2009年7月 9日 22:20
  • 雑談

私の住んでいる地域では、今年の七夕は曇りでした。七夕の夜に星空が見えないのは少し寂しい事だ。まあ、きっと雲の上では逢えている事だろう……と勝手に想像。

と想像していたら、七夕の雨は天の川の水かさが増えて逢えなくなるらしい。また、「催涙雨」と言って織姫と彦星が流す涙でもあるそうだ。川の水かさが増えたのが先か、涙を流したのが先か判らない雨だけど、雨が降って水かさが増えつつあるのを見ながら涙を流していると考えれば良いのだろうか。

ところで、私の働いている高齢者向けデイサービスでは今年もちゃんと笹の葉を用意して、飾り付けをしたり、利用者とスタッフの短冊をぶら下げたりした。利用者の願い事はやはり「体が良くなりますように」「いつまでも元気で居られますように」と言った願い事が多く、そう言えば初詣の願い事も同じだったと思いだし、元気である事への拘りはかなりの物があるという事を再認識。とは言え、元気になるための事でも疲れる事はやりたくなかったりするので、その辺りは悩みどころ。促すという行為は中々技術レベルの高いもののように思える。

因みに、スタッフの願い事はと言えば……。「宝くじに当たりますように」「給料が上がりますように」「お金持ちになりたい」と、中々俗物的なものが多い様子。私は去年お金持ちになりたいと言う願いを書いたので今年は七夕の日が晴れるようにという願いだったけれど、何となく自分が良い子ぶってるようなイメージを持たれそうな感じ。でも、心の中ではそういう事思ってるから!!

実際、お金の事を気にせずに働きたいなあとは思う。20代も半ばを過ぎ、30が遠くもなくなってくると、親の手を借りず独り立ちしなきゃっていう焦りが何でもない瞬間に湧きあがってきたりと精神的に不安定になりがち。別に、ニートやパラサイトが悪いとは言わないけれど、親が死んだら兄弟にたかって細々と生き、兄弟も居なくなったら死ぬ……って未来は私にとってちょっと怖い。

政治家不信

  • 2009年7月 1日 21:28
  • 雑談

最近、最も違和感を覚えたのは「○○党に対抗する為に○○党と反対の、且つ有効なマニフェストを作る必要が……」云々、という新聞記事。誰かが指摘するまでもなく、政権を取る事自体が目的になっているという事を如実に表す一文。

本来……というか、国や国民の為の政治を行うなら、それが良いものであれば他の党のものだろうが積極的に採用すべき。態々敵対してどうするんだろう。お互いの良いところ悪いところを指摘し合って議論する事は出来ないのか。せめて、揚げ足取りに終始する様な事はない方が良い。どこが悪いここが悪いと言うだけでは駄目で、相手が何を言いたいかを先ず理解し、それに対する矛盾点を指摘する事が出来なくてはならないと思う。そしてその上で相手の言っている事が駄目だと思えば反論すれば良いし、良いと思えば素直に採用すれば良い。ただ単に、全体も見ず言っている事の一部分を取って駄目だの違うだの言っているだけでは「良い方向」に進まない。

党の威信とか威厳とか体裁とか、強大化とか弱体化とか……本当にどうでも良いのだ。相手を非難する事に終始し、お互いに馬鹿にし合い悪意をぶつけ合う現状は、本当に、只の見世物だ。もしかしたら、政治家本人も解ってやっているのかも知れないけれど。

物的な豊かさなんて結局は心の豊かさを求める為の物なのかもしれない。

  • 2009年6月25日 21:32
  • 雑談

物も心も豊かにと書きましたが、先日の話で例えるなら、詰まるところ仕事以外は最低限の衣食住しか要らないという思いであれば物が豊かである必要もないのです。四六時中、仕事のみが生活であれば全く問題ない。

しかし、結局はどちらも欲の範囲を出るものではなく……性質を見るのであれば、やはり同列、或は同属性であるように思えます。態々再発見などしなくても、人は最終的に自分の為となるように動くと言うのは真理の一つであるのでしょう。